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答志島の言われ

鎌倉時代に日本に伝わった禅には「あこがれや喜びを求める志は、どんなに高い所のものでも打ち落とそうとする勇猛な心と、どんなに深い所にいる魚でも釣り上げてやろうとする遠大な希望を持って臨めば、必ず答えられる」という教えがあります。

これが答志島の名の由来という説があります。

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御食国 (みけつくに)

日本古代から平安時代まで、皇室や朝廷に海産物を中心とした御食料(穀類以外の副食物)を貢いだと推定される国を指す言葉です。
『万葉集』にある郷土礼讃の歌や、『延喜式』の記述、平城京跡出土の木簡の記述などから、志摩国、若狭国、淡路国の3つの国が推定されています。

常康親王 (つねやすしんのう)

常康親王(生年不詳 - 869 年)は平安時代前期の皇族で、仁明天皇の第7 皇子。幼少時より沈敏な性格で父に愛され、840 年には親王ながら、志摩国答志島を与えられました。
父崩御後の851 年に出家して雲林院に隠退して詩作に励み、死の直前に雲林院を遍照に譲って天台宗の修行場して亡き父帝への謝恩の姿勢を示そうとしました。著作に『洞中小集』があるほか、『古今和歌集』にも1 首採録されています。

三重県鳥羽市 答志島へのアクセス

東京から
東京▶(新幹線のぞみ1時間40分)▶
名古屋 ▶(近鉄特急1時間30分)▶
鳥羽 ▶(定期船25分) ▶答志島

名古屋から
名古屋 ▶(近鉄特急1時間30分)▶
鳥羽 ▶(定期船25分)▶答志島

大阪から
大阪 ▶(近鉄特急2時間)▶
鳥羽 ▶(定期船25分)▶答志島

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